カンボジア企業経営への心得

経営

皆様こんにちは、カンボジア駐在員の澤柳です。             

さて、今回のテーマは「経営は科学ではない」です。

 

ドラッカーはその著書で、マネジメントは科学ではなく「臨床的な体系であり、医療と同じように科学性によってではなく患者の回復によってマネジメントの価値を判断しなければならない」と定義しています。

また、ドラッカーは経営の「やり方」ではなく「あり方」を説いています。「正しい」経営とはどのような経営であるかをドラッカーは説いているのであって、ドラッカーの伝えようとしていることが度々異なる形で、特に一つのツールとして広められていることを、私は非常に残念に思います。

例えば、ドラッカーは目的が手段を正当化するというベンサムのような発言は一切しません。ベンサムは最大多数の最大幸福となることこそ正であり、社会全体の幸福を優先します。例えどんなに不幸な人が出てしまおうと、目的が手段をいつでも正当化し、全体で見た結果としての幸福が重要視されるのです。

一方で、ドラッカーの考え方はカントに近い。
カントは、Universal Law(普遍的法則)、つまり人間性を重視し、ベンサムのように結果ではなく、「行為の動機」が相手の幸せを願ってのものだったかを問い、それが道徳的に正しいかどうかを考えます。

例えばドラッカーの言葉で、
「知識労働者の動機づけは、ボランティアの動機づけと同じである。ボランティアは、まさに報酬を手にしないが故に、仕事から満足を得る。」
「我が子をその人の下で働かせたいと思うか・・・(中略)・・・我が子がその人のようになってほしいかを考える、これが人事についての究極の判断基準である」
など、カント的な考え方が散りばめられています。

このように、ドラッカーの本に裏から光を当てて読んで見なければわからないことがたくさんあり、この意味では楽譜と同じだと私は考えています。
楽譜は、一見すると「どのように」音を出すかが書かれているものだと勘違いしてしまいがちですが、実際には作曲家が表現したい「あり方」が書かれています。その曲の背景、時代背景や作曲家のクセなど様々な情報を持っていないと表現できな音色、スピード、一体感などなど様々な楽譜上では見えないものが隠れているのです。

ドラッカーにも同様に、その時代背景やドラッカーの思想などを考慮し、ドラッカーが表現したい経営の「あり方」を理解することが大切です。
ドラッカーは、決してベンサムのような考え方をしてはいません。ドラッカーは人の幸せを基準とした経営を正しい経営だとしています。

ドラッカーをこれから読む人、もうすでに読んでいる人にとっては、是非このドラッカーの著書をこのような視点で読んで頂き、ドラッカーの伝えようとしている経営のあり方に少しでも多く触れて頂きたいと、切に思います。

 

 

澤柳 匠

 

関連記事

ページ上部へ戻る