知っておきたいマレーシアの基礎情報④

こんにちわ
東京コンサルティングファームマレーシア支社の安孫子です。
本日はマレーシアの基礎知識についてお話します。
当たり前に知っている人もいれば知らない人もいるかと思います。
海外ビジネスを知るためには基本中の基本である国や文化の違いを理解しておくことが
とても重要です。
早速基本情報についてみていきましょう!
 ■マラッカ王国の隆盛とイスラム教(14世紀~15世紀)
古くからインドとの交易が盛んだったマレーシア半島西部に、14世紀にマラッカ王国が興りました。マラッカ王国は、インドと中国、そしてアラブ世界を結ぶ海の交易の要衝として栄えるようになります。8世紀にはすでにイスラム教が伝わっていたと見られていますが、本格的には、14世紀にマラッカ国王がイスラム教に改宗したことを契機として、広くイスラム化したと言われています。
■植民地時代(16世紀~20世紀前半)
16世紀から20世紀にかけて欧州各国による占領、植民地支配が続きます。
マラッカは16世紀初めにポルトガル、17世紀にはオランダに占領され、東インド会社による支配が続きます。18世紀になると、フランスがベナンを占領、その後、イギリスもまた東インド会社の拠点を築き始め、1824年には、英蘭協約によってマレー半島とボルネオ島の北部がイギリスの植民地となります。
19世紀にはマレー半島は錫の一大産地として栄え、20世紀になると天然ゴムの生産が加わり活況を呈しまします。このころに中国南部やインド南部などから大量移民があり、多民族地域となりました。
■第二次世界大戦の終了とマレーシアの独立(1945年~1965年)
第2次世界大戦時が勃発し1942年に日本軍がマレーシア一帯を占領し、1945年の終戦まで続きます。終戦後、1948年にはイギリスが再び宗主国となり、「イギリス領マラヤ連邦」となりました。
その後、1957年8月にマレー半島部は、独立国「マラヤ連邦」となり、1963年にはボルネオ島北部のサバ、サラワクとシンガポールが加わり、「マレーシア」の樹立となりました。その後、1965年にシンガポールが独立分離して、現在のマレーシアとなっています。
■マレーシア草創期の混乱
マレーシアは、独立後しばらく混乱が続きます。1969年には、総選挙後に与野党の支持者が衝突をし、「5月13日事件」と呼ばれる騒乱事件が起きました。中国系とマレー系住民による民族対立が根底にあり、多民族国家としての課題が噴出した結果と言われています。
「5月13日事件」の責任を取る形で、マレーシア初代首相であるラーマンが辞任し、ラザク政権となりました。ラザク首相は、「5月13日事件」に至る要因の1つとして、中国系に対するマレー人の経済格差とし、新経済政策(NEP: New Economic Policy)を打ち出しました。NEPは、マレーシアの経済成長を推進する国家戦略であるとともに、マレー人(一部先住民を含む)の優遇政策の柱ともなりました。
■マハティール時代(1981年~2003年)
1981年 にマハティール首相が就任しました。統一マレー人国民組織(UMNO)を中心として、中国系やインド系政党、サバ、サラワクの地域政党を取り込み、広範な与党連合である国民戦線(BN: Barisan National)を支持基盤として、2003年まで22年余におよぶ長期政権が続きました。
1980年代は、日本や他のアジア諸国の成功に学ぶ「ルック・イースト政策」を打ち出し、インフラ整備、国営企業の民営化、外資の積極導入と外資系企業の誘致といった経済振興策を実施しました。その結果、他の東南アジア諸国に先立ち、シンガポールとともに1980年代から経済成長を遂げることとなりました。
■アジア通貨危機
隣国タイに端を発して東南アジアや韓国など広くに連鎖した「アジア通貨危機」は、1998年にマレーシアにも深刻な事態をもたらしました。対外債務比率が高く、リンギットは暴落し経済は混乱しました。
IMFによる財政支援と緊縮財政による経済の立て直しではなく、為替レートの固定化による通貨安定策と金融資産の国外流出防止策とともに、経済刺激策による経済再建をはかりました。1998年は6.5%のマイナス成長となりましたが、その後、他のIMF被支援国に先駆けて復調をしました。
■ポスト・マハティール時代(2003年~)

マハティール退陣後も、統一マレー人国民組織を中心とした国民戦線の政権が続き、2 0 0 3年から2 0 0 9年にアブドラ・バダウィ政権、2009年からナジブ・ラザク政権となりました。しかし、2008年の総選挙で、国民戦線は大幅に下院の議席数を減らし、州議会選挙でも野党が12州中5州で勝利を収めました。野党勢力結集の動きもあり、長期間にわたる安定与党体制に変化が起きつつあると言われました。ナジブ政権は「1(one) Malaysia」をスローガンに掲げ、経済変革プログラムや行政改革プログラムを打ち出し、分断され対立化しつつある階層や民族の融和を訴えて支持拡大を図っています。

しかし実際には、ナジブ首相がアドバイザリー・ボードの議長を務めるマレーシア政府のソブリン・ファンド、「1MDB(1 MalaysiaDevelopment Berhad)」の総額約420億リンギットに上る巨額負債と不正経理疑惑が発覚しています。また、就任直後には廃止を約束していた扇動法(The Sedition Act)を2015年に改訂し、禁固刑の期間が延長されるなど、刑罰を強化しました。さらに同年、テロ防止法(The Prevention of Terrorism Act)を可決し、裁判を経ることなく、警察署の判断で容疑者を5 9日間拘束し、テロ防止委員会の判断によって無期限に延長することを認めるなど、行政権の強化を図っています。こうした政策・不正疑惑から内閣支持率は3 0%台にまで低下し、2 0 1 8年5月に行われた総選挙では野党の希望連盟(PH)の構成政党である人民正義党(PKR)と民主行動党(DAP)で1 1 3議席を獲得し、ナジブ政権は敗退しました。これは1 9 5 7年の独立以来、初めての政権交代です。

今週は以上になります。
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