カンボジア企業経営への心得

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皆様こんにちは、カンボジア駐在員の澤柳です。             

さて、今回は「マネジメントの責任」についてお話しします。

働く人は、上司を選ぶことはできません。企業の成果に貢献することに真剣に取り組む人は、上司にも自ら以上の真剣さを要求します。有能な若い社員を配属された上司は、部下を持て余すことが多々あります。働く人は上司の能力がそれなりであることには納得ができますが、真剣さの欠如している上司には我慢ができないものです。
ドラッカーは著書で以下のとおり述べています。

「成果に責任をもつ者はマネジメントに対し高度の要求をする。マネジメントに対し有能たるべきことを要求する。心理学者としてではなく、マネジメントとして有能であることを要求する。真面目に仕事に取り組むことを要求する。自らの仕事に責任をもつことを要求する」
「責任とは難しいものである。自らが率先して負わないかぎり、他の者に要求しても無駄である。働く者は、組織の側が真剣であって、責任を負い、有能であると信じられなければ、自ら仕事に責任を負おうとはしない」

マネジメントは、常に自らの行動に責任を持たなければなりません。働く人は、マネジメントが責任を持つ限りにおいて、マネジメントの指示のもと精一杯の成果を作るべく貢献します。マネジメントが責任を取れないと感じたとたん、自らの責任において成果を作るべく貢献することはしなくなります。
「責任は部下の責任、成果は自らの成果」と考えるマネジメントの元では、真剣に仕事をする人はいなくなります。マネジメントの意識はこの逆でなければなりません。

「これ、旨くやっとくように」、マネジメントと働く人の関係が阿吽の呼吸での信頼感で結ばれているケースであれば、権限移譲ができており、理想的な上下関係かもしれません。しかし、ただ単に、マネジメントの仕事が忙しく、働く人の面倒が見れないだけのようなケースでは、働く人は、ただ単に、仕事をこなすだけが自らの仕事となってくのです。

 

澤柳 匠

 

 

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