【トルコ編】トルコと日本 ~日土関係友好の歴史~

 

こんにちは。東京コンサルティンググループトルコ支社の吉田瞬です。

 

トルコは親日国として知られており、日本からトルコへは毎年非常に多くの観光客が訪れます。“親日”であることも、トルコへの進出、その後の事業展開を考えられる上で1つの重要なポイントになるのではないかと思います。諸外国との関係や通貨リラの大幅な下落など、現在も不安要素があることは周知の事実ではありますが、日土両国の関係性に置いて、トルコという国にマイナスなイメージを持たれている方は非常に少ないのではないでしょうか。
したがって今回は、歴史的な視点から、日土関係友好の理由を紹介させていただきたいと思います。

 

日土関係の始まりは今から130年程前の明治時代に遡ります。1887年、日本の皇族がトルコ共和国の前身であるオスマン帝国の皇帝に謁見したことから両国の関係は始まりました。オスマン帝国はその答礼として、1889年、650名の使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号を日本へ派遣しました。翌年の1890年、使節団は横浜に到着した後明治天皇に謁見し、岐路に着きましたが、ここで悲惨な事件が起こります。日本を出発した直後、エルトゥールル号は台風の影響による高波と強風に煽られ、和歌山県沖で座礁、沈没したのです。全船員650名のうち、実に587名が亡くなる大惨事となりましたが、近隣の村人の必死な救助活動により、69名の命が救われました。この出来事は、明治天皇の耳にも入り、日本国内でも大きく報道され、当時としては珍しい義援金も多く集められました。日本国民の対応がトルコ人の心を打ったとされるこの「エルトゥールル号事件」は、日土両国の友好の原点とされています。

 

その後、日本とトルコの友好関係を印象付けるもう1つの出来事が起こります。イラン・イラク戦争中の1985年、イラクによる空爆の危機にさらされていたイランの首都テヘランには、多くの日本人が取り残されていました。取り残された日本人の方々はテヘランからの脱出を試みましたが、他国の航空会社は自国民の搭乗を優先し、安全上の理由から日本からの救援機も送られませんでした。絶望の淵に沈んでいた日本人を救ったのがトルコ航空でした。約250名の日本人が、無事トルコ航空機によって奇跡的に救出されました。

 

以上のような歴史的経緯もあり、トルコと日本は現在も友好的な関係を続けています。
“親日”であることは、トルコへの進出を考えられている企業様にとっても1つ追い風になるのではないでしょうか。

 

今週は以上となります。

上記以外にもトルコ進出に関してご質問などございましたら、お気軽にお問い合わせください。

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

 

東京コンサルティングファーム・トルコ拠点
吉田瞬

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参考資料

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