皆様こんにちは、カンボジア駐在員の澤柳です。
さて、今回のテーマは「直感と思いつき」です。
マネジメントは、日常の様々な場面で意思決定を繰り返しています。その意思決定には、その場、その場で直感により意思決定を行うものから、熟考して結論を出さなければならないものまで様々です。
一般に熟考を要しない意思決定は、意思決定の意識すらなく、その場その場で判断し行動に移していきます。しかし、このような意思決定が習慣化され、定着していくと、熟考する必要のある意思決定までが直感で判断し行動に移されていきます。
中には、直感で行った意思決定に対し、異論を唱えるとまではいかなくても、その説明を求められることがあります。即座に十分な説明ができず、激怒してしまうマネジメントに遭遇することもよくあるでしょう。激怒とまではいかなくても、別な話で話をそらしてしまったり、トンチンカンな説明をしてごまかしてしまうマネジメントも多いのです。
熟考を経ていない直感的な意思決定は、時には、夕刻には新たなひらめきにより、真逆の指示を出す経営者も多いです。部下達が怪訝な顔をしていても「君子は豹変す」とばかりに平然と指示を翻します。このことが慣用句化し、当たり前のように働く人を従わせる経営となっていきます。ここまでくると経営者のひとこと一言は、何の権限もなくなり、豹変が治まるまで静観を決め込むことが企業文化となっていきます。
マネジメントは、いかなる時でも自らの判断、意思決定には、関係者が納得できるだけの説明ができなければなりません。自らの意思決定について、いかなる時においても十分な説明をすることがマネジメントの責務と自覚しなければならないのです。
そもそも意思決定とは、不確実な要素が関与し明確に判断できない状況において、すみやかに判断を下すことにあります。明快に判断できるものにおいては、判断することもなく行動しています。優劣を付けかねる数ある選択肢の中から一つを選択し、その理由について、自らの想いや、自らの合理性に鑑み、明確に説明することにあります。
自らの長年の経験から生み出された直感による選択肢も、その結論は、自らの奥底から湧き出してきたものであるはずです。これらは確実に合理的な説明ができます。なぜならば自らの深層より湧きだした概念が顕在化している説明だからです。
このように考えるとき、自らの意思決定について明確に説明できない意思決定は、直感による意思決定ではなく、単なる思い付きによる意思決定と言わざるを得ません。
本来、意思決定とは、その意思決定をおこなうべき内容について理解し、取りうる選択肢を洗い出し、それぞれの選択肢について結果を予測し、選択可能な範囲から総合的に判断し、一つの結論を導くことにあるのです。
ドラッカーは次のようにその著書で述べています。
「意思決定とは、問題を理解し、分析し、判断し、リスクを冒し、成果をあげる行動にいたるまでのプロセスである」
澤柳 匠