皆様こんにちは、カンボジア駐在員の澤柳です。
さて、今回のテーマは「貪欲さ」です。
先日プノンペン市内を移動中に、カンボジア人が一生懸命ゴミを拾っている姿を見かけました。ゴミを拾うといっても、我々日本人のゴミ拾いとは全く意味が異なり、彼らは生活のために売れるものだけを捨てられたゴミの中から探し拾い集めています。
また、このゴミをあさる作業はゴミ収集車が来る前、つまり日が昇る前に行う必要があり、一般的に彼らは夜中に懐中電灯を頭に乗せて、視野の狭い中での作業を強いられる過酷な仕事なのです。
このような光景は、実は今までも何度も見かけていましたが、今回は少し違った印象でした。
その理由は、そのゴミ置き場に、2人の10歳ぐらいの子供が大人に混じっており、大人と同様に一生懸命に捨てられたゴミ袋の中を引っ掻き回していたからでした。
それもただ引っ掻き回しているだけではありません。彼らのゴミの姿は、純粋で強力な貪欲さ、必死さがありました。ただ親に言われたからやっているという姿勢ではありません。目には力強い生きる力が宿っていました。今日を生きることに貪欲でした。
私は、そこにいたたった10歳ぐらいの子供の「貪欲さ」に、圧倒的な差で負けているという恐怖と彼らへの尊敬の気持ちでいっぱいになりました。
この貪欲さ、必死さを別の何かに向けられたならば、彼らは大きな成功をも勝ち得ることができるのではないかとさえ思いました。
我々は歳を重ねるごとに何かを得て、周りが満たされていくと、子供の頃持っていた純粋な必死さ、貪欲さというものを失ってしまいます。
ただ一生懸命なだけではなく、貪欲であること、周りで見ている人が苦笑するぐらい必死であることの人生における重要性を改めて考えさせれました。
澤柳 匠