皆様こんにちは、カンボジア駐在員の澤柳です。
さて、今回のテーマは「知識労働者」です。
ドラッカーは、知識労働者の動機づけについて以下のように説明しています。
「知識労働者の動機づけは、ボランティアの動機づけと同じである。ボランティアは、まさに報酬を手にしないが故に、仕事から満足を得る。」
これは、プロフェッショナルについても同じことが言えます。
報酬や安定が目的となったプロフェッショナルは、その時点より知識労働者であることを辞めるということに等しく、知識労働者としての倫理、社会的責任を放棄することと同じであります。
従って、プロフェッショナルファームにおいて、報酬や安定というものを目的にさせる、もしくはそれを間接的にでも目的とさせ得るようなマネジメントは実は知識労働者ではあらず、その下で働くものも同様に知識労働者であることを放棄させてしまいます。
また、ドラッカーは、「我が子をその人の下で働かせたいと思うか」、「我が子がその人のようになってほしいかを考える、これが人事についての究極の判断基準である」とも述べています。その人がプロフェッショナルとして成功していれば、若い人が見習い、その人に従います。だからこそ我が子にもその人のようになってほしいと考えます。「いかに科学的、論理的であって、いかに多くの洞察を与えてくれるものであったとしても、潜在能力や人柄、将来性など証明済みの仕事ぶり以外のものに焦点を合わせた人事評価は力の乱用」でしかありません。
一方でドラッカーは皮肉なことに、「あらゆる組織が『人が宝』というところがそれを行動で示している組織はほとんどない、本気でそう考えている組織はさらにない」と綴っています。人材の育成こそ最も重要な課題であることを忘れて良いはずはないのです。
澤柳 匠