今回はメキシコの歴史(略史)についてお話します。
[アステカ帝国の滅亡~スペイン植民地時代]
1519年にスペイン人のエルナン・コルテス率いるスペイン軍がメキシコに上陸、アステカ帝国への侵略を開始しました。1521年にティノチティトラン(現在のメキシコ・シティ)が征服され、アステカ帝国は滅亡します。
この後、約300年にわたりスペインの植民地となります。過酷な植民地支配とヨーロッパから持ち込まれた天然痘などの疫病によって、2,500万人いたインディオは一時100万人にまで激減したといわれています。一方、スペイン人と先住民であるインディヘナ(インディオ)の混血(メスティーソ)が進み、インディヘナの伝統や風俗とスペイン文化が融合した独特の混血文化が形成されました。
[独立革命~レフォルマ(改革)時代]
19世紀のメキシコは、「独立革命」(1810~1821年)、「アメリカ・メキシコ戦争」(1846~1848年)、「レフォルマ(改革)時代」(1854~1876年)の動乱期を経て近代化へと向かいます。この時代の変革は、支配階級であった植民地生まれのスペイン人クリオージョ)によるスペインからの独立、被支配階級であったメスティーソやインディヘナの蜂起と階級闘争、メキシコ領であったテキサスの分離独立といった、さまざまな対立や闘争を含む複雑なものでした。19世紀半ばには自由主義改革へと運動は収れんし、植民地体制は解体しました。1861年には、インディヘナ出身のベニート・フアレス大統領が誕生し、レフォルマ(改革)を推進して、殖産、教育振興などが積極的に行われました。しかし、対外債務支払停止により、債権者国であるフランスの軍に4年間占領されるなど、不安定な時代が続きます。
[ディアス独裁政権~メキシコ革命]
1876年、クーデターによって就任したポルフィリオ・ディアス大統領による独裁政権が始まり、25年近く続きました。メキシコ史上における初の長期安定政権であり、外資を積極的に受け入れて経済発展を遂げたものの、強権的な政治に各地で不満が高まりました。
1910年、民主化を求める勢力が蜂起し、「メキシコ革命」が起きました。ディアス大統領は国外へ亡命し、革命、反革命勢力が主導権を奪い合う動乱期となります。やがて、革命勢力が労働者や農民を率いて勢力を拡大し、1917年に新憲法(現行憲法)が発布され革命は終結となりました。
[制度的革命党(PRI)による一党独裁]
革命後も、路線対立による政情不安が続いていましたが、鉄道や油田の国有化、農地改革などが行われるに従って政情は安定の方向へ向かいました。1929年には諸勢力が合流して国民革命党(PNR:Partido Nacional Revolucionario)が結成され、さらに1946年に制度的革命党(PRI:Partido Revolucionario Institucional)へと再編、事実上の一党独裁が始まり、その後2000年まで54年間にわたり続くことになります。
[「メキシコの奇跡」の光と影]
第2次世界大戦により長期政権として足場をかためたPRIは、革命路線を修正しつつ、豊富な石油資源を基に積極的に工業化を促進しました。1950年代~1970年代にかけて、他のラテンアメリカ諸国ではクーデターによる軍政が多かった中、文民統制による安定政権を実現し、多くの外資を呼び込むことができました。1940~70年代には「メキシコの奇跡」と呼ばれる目覚しい経済成長を遂げ、1968年にメキシコ・シティオリンピックが開催されました。
一方、経済成長に伴い貧富の差が拡大したこと、政治腐敗や反政府勢力への弾圧などの負の側面も顕在化し、社会問題となりました。また、1970年代に、貿易赤字や財政の健全化が進まないことにより、累積債務が拡大しました。1980年代には、原油価格の下落とインフレにより経済はさらに危機的な局面を迎えます。
[北米自由貿易協定(NAFTA)締結]
1994年、アメリカ、カナダ、メキシコ3カ国による北米自由貿易協定(NAFTA:NorthAmericanFreeTradeAgreement)が発効されました。人件費が安いメキシコに多くの自動車や家電製品の工場が建設され、アメリカ市場への輸出が拡大し、多くの労働者が出稼ぎのため国外に出ずにメキシコ国内工場で働くことができるようになりました。その反面、トウモロコシなどの農産品で競争力に劣る零細な農家にとっては大きな打撃となり、農民が武装蜂起する事態にまで発展しました。
[国民行動党政権の誕生とPRI政権の復活]
2000年、大統領選挙で、経済の失策や政治の腐敗を問われてPRIの候補が敗北し、右派国民行動党(PAN:Partido Acción Nacional)のビセンテ・フォックス候補が当選し大統領となりました。PRIは71年におよぶ政権の座を降り、野党となりました。
2006年の大統領選挙でも、PANのフェリペ・カルデロン候補が民主革命党(PRD:Partidodela Revolución Democrática)をはじめとする中道左派連合の候補に僅差で勝利しました。しかし、カルデロン大統領は抜本的な制度改革や麻薬対策などを公約にして当選しましたが、世界金融危機の影響による景気の悪化や、治安が良くならないことなどから、2009年の連邦下院議員選挙では与党PANが大きく議席を失い、PRIが再び第1党となりました。
2012年の大統領選挙では、PRIのエンリケ・ペニャ・ニエト候補が勝利し、2012年12月1日に大統領に就任、12年ぶりのPRI政権となりました。
以上、お読みいただきありがとうございました。
なお、本記事は2019年12月時点の内容となっております。最新情報やより詳細な情報は弊社サービスのWiki Investmentをご利用頂きたいと思います。Wiki Investmentへの登録は、下記のリンクからお願い致します。