5月10日金曜日

その他

こんにちは、メキシコ駐在員の片瀬です。

5月10日(金)、営業から午後16時ごろに事務所に戻ってくると事務所に誰もいない。誰からも何の連絡もなく1人もいなくなってしまったことを不思議に思いながらも、19時近くまで残っていると提携先の方1人おもむろにこちらに近づいてくる。あたりはうす暗くなり始め、事務所の電気も非常灯しかついていない。ただ、西日がうまい具合に窓から差し込んでいるのか、視界はそこまで悪くはない。
近づいてくる顔は見たことはある顔なので、いつもであればこちらから挨拶をするのであるが、何故か声が出ない。いつもとは違う違和感を感じながら、にらみつけるように全神経をそちらに集中する。全身が粟立つ。
彼はポケットに手を入れている、私の全神経は彼のポケットの中身へと移される。彼がポケットから手を出した瞬間に…どうする?どうしようもない、どうにもできない。おとなしく言うことを聞こう。今は、彼がポケットから手を出すことに集中しよう、彼がポケットから手を、ポケットから手を……あれ!?出さない。

いやいや、怖いものですね。思い込みで思いっきりビビってしまいました。メキシコの治安が頭のどこかにあったのでしょうか……
メキシコは日本と違うことが多く、違いを不安や恐怖に置き換えるか興味や楽しみに置き換えるかでメキシコでの生活はまるっきり違うものになると思います。私は興味や楽しみに置き換えることができていると思っていたのですが、深層では不安や恐怖を感じていたのだと思います。違いを不安や恐怖に感じてしまうのはしょうがないことなのですかね?
いや、書いていて気がついたのですが、違いに不安や恐怖を感じるのではなく、知らないということに恐怖を感じるのですね。違いを知っていればその違いを受け入れたうえで、対応をすることができますから。そして、違いを知るためには、知らないという恐怖をいったん自分に取り込んで、覚悟を決めて自分から飛び込んでいかなければならないのですね。飛び込んでは挫折し、飛び込んでは挫折し、最初はこれの繰り返しの様な気がします。
まずは上記の彼の事を、もう少し知ろうと思います。暗がりに一人たたずみ睨みつける私の方が恐怖であったと思いますので(笑)

ちなみに5月10日の金曜日はメキシコの「母の日」であり、晩御飯は皆家族で食べるために15時ごろには、皆帰ってしまうとのことでした。仕事をほっぽり出して、母の日を家族みんなで祝う。メキシコの方たちは家族を本当に大切にしています。日本では仕事をほっぽり出して家族と会うことはあまり考えられない事なので、驚きもありましたが羨ましさもあり、なんだか複雑な気持ちになりました。
また、提携先の方たちとの食事の際もよく家族の会話になります。皆さん自分の家族が大好きで、写真で思いっきり自慢をしてきます。そして初対面の人には必ずと言って良い程に結婚をしているかを聞かれます。きっとメキシコでは結婚が1つのステータスであり、自立した人間であるかを結婚によって測られているように感じます。結婚がステータスと考えられているのは日本でも同じですが、メキシコでは子供がいることが更なるステータスになるようです。そしてまた、地域社会もファミリーに優しく、社会全体が子供を育てているという感覚になることがよくあります。

最後までお読み頂き、ありがとうございます。

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