こんにちは
本日も以外と知らないミャンマーの基礎知識ついてお話しします。
■ 政治体制 ➡ 大統領制、共和制
[元首]
ティン・チョー大統領(2016年3月就任・任期5年)
[行政組織]
2011年1月施行の新憲法により、行政組織も大きく変わることになり、軍事政権下の最高意思決定機関であった国家平和発展評議会は、2011年3月に解体され、テイン・セイン大統領を中心とする新政府に権限が委譲されました。しかし、新政府の11名のうち、少数民族シャン族出身のサイマウカン氏以外は、全員が元軍人であり、引続き軍人中心の運営が実質的に行われていました。2015年の総選挙では、アウン・サン・スー・チー氏率いる、国民民主連盟(以下、NLD: National League for Democracy)が圧勝し、NLDへ政権が移動となりました。
テイン・セイン首相を首班とする旧内閣は、ディーゼル輸入販売の自由化、ガソリンスタンドの民営化、トラック・バスなどの商業車の輸入手続の簡素化、二輪車の輸入解禁などの市場自由化や、政治犯の相次ぐ釈放など、改革への本気度を諸外国に向けてアピールしていました。実際に、経済特区でもあるティラワ工業団地の開業なども成し遂げました。
2016年からは、ティン・チョー氏が大統領に就任し、スー・チー氏はNLD中央執行委員会議長、外相、大統領府相及び国家顧問に就任しています。
[国会]
大統領制に変わって以降、二院制の連邦議会が創設され、連邦議会は上院と下院の2つで構成されます。両院とも議員の任期は5年で、議席数は上院が224議席、下院が440議席です。各議院の議席のうち、4分の1は国軍司令官による指名枠となっており、残りの4分の3は国民による直接選挙で選出されることになりました。
2012年 1 月には、スー・チー氏が率いるNLDの政党登録が認められ、国政への参加が可能となりました。2012年4月に行われた選挙では、45議席中43議席をNLDが占め、民主化が進んでいることがわかります。
2015年11月には民主化後初の総選挙が行われました。選挙前の2015年8月には、与党内で突然の党首解任が行われるなど、様々な動きが報道されました。
■ 教育制度
ミャンマーの学校教育制度は、基礎教育と高等教育から成ります。基礎教育は、小学校5年間、中学校4年間、高等学校2年間及び各種職業学校があります。高等教育には短期大学、大学があります。義務教育なのは、小学校のみです。学校は6月から始まるため、6月初めまでに満5歳になる場合、小学校第1学年に入学します。政府は1980年代から初等教育の充実に力を入れており、小学校の開設も増えています。その結果、小学校の就学率は1999年度の91%から、2004年度には96.5%に上昇しました。2001年度からは、1年生から11年生までの進級、及び11年生修了について、各教科の単元もしくは章末テストにより児童生徒の学力を評価する「学力継続評価制度」を実施しています。現在のところ、現地の小・中・高等学校への外国人の入学は困難です。
■ 経済動向
軍事政権からの民政化が行われ、ミャンマーは歴史的な大転換点を迎えています。テイン・セイン大統領は、スー・チー氏等の政治犯の解放を積極的に進めて民主化を強調しつつ、経済面では、外国資本の誘致による工業化推進の方針を示し、既に種々の開放政策を打ち出しました。外交面では、2010年4月、ミャンマー政府とインドのタタ・モーターズとの間で大型トラックを共同生産することが合意されました。その他にも、ベトナムのズン首相がミャンマーを公式訪問し、ミャンマー、ベトナムの両国において投資拡大などに合意し、経済・産業などの幅広い分野で国際間の連携強化を図っています。
2011年には特別経済区法が整備され、5カ所がその指定を受けました。工業団地の建設、それに伴う港湾の整備建設、石油・天然ガスの輸送パイプライン延長、道路・鉄道の拡張など、大型の投資が呼び込まれていくことが期待され、特に貿易上関係の深いタイ・中国・韓国・インドなどからの大型投資が認可されつつあります。
2012年に入り、ミャンマー政府は5月13日、服役中の政治犯651人を一斉に釈放しました。これを受け、クリントン米国務長官 は同年の5月17日、米国を初めて公式訪問したミャンマーのワナマ ウンルウィン外相との会談後の共同記者会見で、米企業の対ミャンマー新規投資を禁止してきた経済制裁を「停止」する方針を表明しました。また、EU(欧州連合)も、4月23日に、武器の禁輸を除く経済制裁を1年間停止することを発表しました。
その後、ミャンマーの政治・経済改革を欧米諸国が評価し、アメリカは2012年11月に宝石一部品目を除くミャンマー製品の禁輸措置を、EUは2013年4月に武器禁輸措置を除く経済制裁をそれぞれ解除しました。2016年10月、アメリカは前月のアウン・サン・スー・チー氏の訪米の際オバマ大統領との会談を経て、麻薬関連、北朝鮮関連以外の経済制裁の解除を発表しました。
■ 日・ミャンマー関係
日本とミャンマーは、1954年11月に平和条約、賠償・経済協力協定を締結して以来、友好的な関係を築いてきました。ミャンマーの反民主化の動きに対応し、人道的な理由かつ緊急性がない援助は、2003年から停止されていました。しかし、2012年4月に行われた「日本・ミャンマー首脳会議」において、ミャンマーに対する過去のODAの返済免除や、今後の対ミャンマー支援が決定されました。具体的には遅延損害金を含めた約5,000億円の過去の対ミャンマーODAの返済が免除され、更に、500億円規模の円借款を開始し、インフラ等の整備を推進することで合意しました。また、先述の「日本・ミャンマー首脳会談」において、今後、毎年400名規模の留学生及び研究員の受入れ・民主化推進のための人材育成が決定されました。また2014年には両国外交関係樹立60周年を迎えています。2016年11月には、スー・チー氏が来日し、面会をした安倍総理大臣は、少数民族との和平実現や貧困対策などに、今後5年間で官民合わせ、8千億円規模の支援を行うと表明しました。
日系企業が長年にわたり事務所を設置して活動を行ってきたことから、民間レベルでも、日本には優先的な配慮がなされています。ミャンマーでは2014年、9行の外資銀行が外資銀行ライセンスを初めて付与されましたが、その内邦銀は最多の3行(みずほ銀行、三井住友銀行、三菱UFJ銀行)です。保険業では、太陽生命保険は財政省・ミャンマー保険事業監督委員会よりミャンマー初の医療保険設置のためのリーディングコンサルタントに任命されて活動しており、損保ジャパン日本興亜損保はミャンマー民間保険会社であるAYA Myanmar Insurance Co., Ltd.と業務提携しています。官民ともに友好的な関係を築いているといえます。
ODAのほか、日本からの技術支援や投資にも大きな期待が寄せられています。日本企業もミャンマーに熱い視線を向けています。ミャンマーは世界有数の親日国でもあり、タイ人以上に日本への憧れが強いことが特徴的です。例えば、大学の中でも習う外国語として、日本語の人気は高いです。、日本製品に対する信頼性も他のアジア諸国と同じく高いと言われています。日系企業に就職したい、日本と何らかの形で繋がりを持ちたいという人も多く、日本製の自動車、電化製品はもちろんのこと、日本の文字までもが彼らにとってはブランドになっています。
■ 在留邦人
在留邦人は、海外在留邦人数調査統計によると、2017年はでは2,370人となっています。2014 年 1月は 1,330 人となっていたので、約3年で大きく伸びています。
本日は以上となります。
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