皆さんこんにちは。
東京コンサルティングの徳田です。
信玄はなぜ天下を取れなかったか?
~ビジネスモデルの重要性~
武田信玄。
「甲斐の虎」と呼ばれ、周囲から恐れられていた。
彼の擁する騎馬隊は戦国最強とも謳われ、他を圧倒していた。
しかし、天下を取れなかった。
逆に、弱兵とバカにされ続けた兵を率いた信長が最終的には天下人になった。
「もう少し信玄が長生きしていれば、天下を取れていたかも知れない」
そういう意見がある。
しかし、実はこれは全く間違いである。
信長と信玄の決定的な違いは、両者の「ビジネスモデル」にあった。
当時の兵隊というのは、いわゆるアルバイターで、普段は農家として田植えをしたり畑を耕したりしていた。
赤紙が来ると兵隊として駆り出されていた。
したがって、「土地」と「季節」に常に縛られ続けていた。
繁忙期には兵隊として稼ぎに行くことは困難だった。遠征になるとなおさらである。
(今だって学生は家の近くのバイト先を探すし、テスト前にはバイトのシフトを入れることが困難だろう)
つまり、普通の戦国大名は、その戦略を兵站とシーズンに常に拘束され続けていたと言える。