こんにちは
PT. Tokyo Consulting(東京コンサルティンググループ)の内野です。
今回は「インドネシアの労働争議」についてです。
平素よりご愛読いただき誠にありがとうございます。
東京コンサルティンググループ、インドネシア法人にて勤務しております、内野能活です。
インドネシアは国、法によって労働者が守られる傾向にあり、それに伴い労働争議がおこることがございます。
〇労働争議の解決方法〇
後を絶たない労働争議を未然に防止するために、2004年1月14日に産業関連紛争の解決に関する法令第2号が公布され、2006年1月14日に施行されました(以下、新法)。
労働争議の解決方法には、「調停・仲裁・斡旋」または「労働裁判所」を通じた裁定があります。
労働争議が発生した場合には、まず雇用者と労働者の二者間で、30日程度の協議・交渉をします。交渉で話合いがつく場合は相互協定を結び、両者が署名することになります。
しかし両者が合意に至らない場合には、その争議は地方労働事務所に持ち込まれ、斡旋または調停により解決が図られます。
両者が調停または仲裁を選択しない場合は、仲裁人に問題の解決を依頼し、仲裁人が両者に合意の提案を行います。
提案にもかかわらず合意がなされず、両者もしくは一方がその提案を拒否した場合には、一方の当事者はその職場の管轄地方裁判所下にある産業関係裁判所(労働裁判所)に提訴することができます。
以上のような過程で、最長で140日の稼働日+手続÷準備期間で審議されます。
新法以前と比べるとかなり審議期間が短くなり、損失労働時間の弊害もより少なくなりました。
産業関係裁判所は現在、バンダアチェ、北スマトラ、西スマトラ、ペカンバル・リュウ、タンジュン・ピナン・リュウ諸島、ジャンビ、ランプン、ベンクルー、南スマトラ、ジャカルタ、バンテン、西ジャワ、ジョクジャカルタ、東ジャワ、中央スラウェシ、スラウェシ、北スラウェシ、南東スラウェシ、西スラウェシ、ゴロンタロ、バリ、北マルク、マルク、西パプアに置かれています。労働者の多くは低学歴なため、労働争議やその解決に関する知識がない場合も多くあります。
〇労働争議の事例〇
以下の事例にもある日系電機メーカーの現地法人で行われた長期にわたる労働争議に象徴されるように、スハルト政権崩壊後の民主化の流れに伴い、2000年以降は労働争議その他の労働問題が増加する傾向にありました。
スハルト政権下では政府公認の労働組合はインドネシア労働組合(SPSI)一組合しか認められていませんでしたが、スハルト政権崩壊後に労働組合の設立が自由化され、2000年の夏以降、新たに設立された各労働組合が組織を拡大し、組合費を増収するため、企業内労組の運動を指導する動きが強まってきています。
ストライキを経験した企業でも、労働問題は十分対処可能で、撤退などは考えないと判断するケースも多くなっています。
一般的に、労働組合を先導しているのは一部の労働者であり、大部分の労働者は従順で真面目だといわれています。
労働組合の代表者と交渉を行い、労働法や社会保険面の対応をしっかりとすることが、労働争議の回避や安定した交渉を行うためにも大切です。
◇事例①日系電機メーカーのケース◇
2003年3月に、日系電機メーカーであるA社が全額出資したインドネシア子会社Bが工場を閉鎖しました。
それに伴い、B社の従業員約1,000人が失業しました。B社は、1992年からオーディオ生産、1995年からはテレビ生産を開始し、年間約150億円の売上がありました。
にもかかわらず、工場閉鎖に至った直接の原因は、2000年に発生したB社従業員による大規模なストライキであるといわれています。
ストライキには全従業員1,500人のうち900人の労働者が参加し、その影響で大幅な売上の減少となり、2003年に工場閉鎖となりました。
◇事例②現地食品製造業のケース◇
1999年に食品製造業であるC社では、賃金の30%アップを求めてタンゲランで約1,300人のストライキが行われました。
このストライキは5日間に及び、労働者は賃金アップと食事補助費の支給による待遇および福祉の向上を要求しました。
また、ストライキの参加者の大部分を占める女性は、生理休暇を禁止する新しい会社の規則に反対していました。
このストライキは会社側への事前通知がなかったため、会社側は正式な手順で交渉に応じることが困難となりました。
結果として、会社側は労働者側の要求の一部を認め、18%の賃金アップと食事補助費の支給で合意しました。
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内野能活