皆さんこんにちは。
東京コンサルティングの徳田です。
今回は、前回の続きから、お話したいと思います。
この点、信長は全く違った発想で動いていた。
決定的だったのが、「兵農分離」である。
農民はあくまで農民として農業に特化し、兵隊は職業軍人として軍事に特化することを最初に実現したのは信長であった。
こうすることで、土地と季節を意識することなくいつでもどこでも軍事活動を行えるようになった。また、分業による生産性も格段に向上した。
学校の教科書では一行程度しか触れられることがないが、僕はこのイノベーションこそが信長が天下人になることが出来た最大の要因だと考えている。
実際に信長は、奇襲で勝ったのは桶狭間だけであり、それ以外は、常に敵を圧倒する戦力を準備し、一気に揉み潰すという作戦を繰り返していた。
(一見地味であるが、これこそ孫子が説く必勝法である。)
これが出来たのは、分業による生産性の高さと、土地に縛られずいつでもどこでも軍隊を派遣することが出来たからである。
だから、信玄が長く生きようが、長篠の戦いがなかろうが、いずれにせよ信長が勝っていただろうし、むしろ、後になればなるほど両者の戦力差が開き、数え役満で信長が勝つだろう。
戦術的な改善を繰り返すことは言うまでもなく大切である。
技術を高めることももちろん重要。
しかし、ビジネスモデルがもたらす差は、それとは比較にならないほど決定的な差をもたらす。
かつて、iPhoneと日本の携帯会社もそうだったように。
ビジネスモデルのイノベーションをいかに生むか?
常に問い続ける必要がある。